清い死を迎える準備をしているだけです。
何になろうとしているの?と聞かれた。 「僕は会社のことをアートだと思っています」 僕は咄嗟にそう答えた。 内心その言葉は「深いアリアン」というフィルターを通して過去の自分から借りて並べた言葉だった。久しぶりだったのだろう。下を向きながら歩いてるぼくの視界には「アート」「会社」という字面が浮かんでいて、あまりの魂のこもってなさに、笑えてきた。笑うか、喚くか、その時にできた応急処置はそれぐらいだったであろう。笑うことを選んだ。 自分が吐き出した言葉を、自分で愛せないのは僕にとって生き方自体を問い直さないほど、おおごとなのである。そして、問い直したくなった。 とりあえずカフェに入って言葉でも書くか〜と言って本が沢山おいてあるお店に入った。アートという本棚が見えて、とりあえずページを適当にめくった。そこに映る様々な言葉と思想の殴り書きを読んでみた。いや、読むように頑張った。 ページを捲るたびに読む言葉は少なくなっていき、めくられていく紙に集中しながら、自分の思考の沼に落ちていった。イヤホンをし、音を遮断し、キーボードを叩き始める。 そして今に至る。 なにが<生>なのかと聞かれたら、清い<死>を迎えるための準備期間である。 誰かのために、愛を持って行動できたら、僕はそれだけで幸せである。 それが神様に始まり、家族、友人、僕らの子供達、そして目の前のお客様(鑑賞者)からまた神様に帰着ができたらそれでいいと思う。 悲しみと怒りを、ただただ愛という形に変換して、会社を作りたい。ただそれだけです。 いつ迎えるかわからないその最期の瞬間まで、清くなり続ける人間になり、清くなり続けるような組織を作れたら、僕は今よりも微笑んで死を迎えることができるだろう。