以前に<働くということ>という文章を書いた。
それは文字通り、働くということに関して紡いだ文章であった。
働くということについて、詳しくはその文章に記すとして、今回は手短に、仕事を創るものとして思っていることを書きたい。
背景には、自分にとって「仕事」という言葉が自分にフィットしないことがある。ボランティアとしてやる活動も、米粒を稼ぐための仕事も、得意な作業も、嫌な作業も、仕事といえば仕事だし、仕事なのか?という疑問が常に頭にあった。
だけれど、僕の中ではそのすべての<活動>が同列であり、優先順位はあれど、その価値に優劣はなかった。
それらの行動の狭間にあった妙な緊張感は、「仕事」という言葉を「活動」という言葉に言い換えたときに、少し和らいだ。結構和らいだ気がする。
僕にとっての活動という言葉は、僕がやっているその行為に対して、多義性をもたらしてくれた。それが救いになったのである。
要するに、ごはんを稼ぐという事以外に、自分自身の存在に価値をもたらしてくれるもの、と言ってもいい。
お金を稼ぐための所謂「仕事」というが、より普遍的な意味をもつ「活動」としてみることができるのであれば、「仕事」を作る役割を担うものとしては、その「活動」が少しでもその人にとって人間としての価値を向上するための何かをつくらないといけない、という責任を感じた。
そして僕にとってそれは、「愛情ある何かを遺す」ことである。