神の許しがあって、この世は在る。今起きていること、起きていないこと、その全ては神の図らいがあって、実存したものだ。
では、我々人間に残されたの、思考と行動の余地はあるのか。
神の許しあっての世界は、全体合理性で帯びたものである。その世界を「個人」という尺度で図り直した時、それもまた”最善”という特性を帯びつつも、その「個人」にとっての、個別的な<問題>が、神・自分・世界という三角形の中で、自分だけに与えられた「課題」の如く、現れる。
だから、思考し、行動し、全体合理性を帯びた世界の中で、超個別的な<課題>に取り組む。それが無限大と、他の<個別的課題>と共存し、時に相反し、それら全てを内包する<世界>と神の下での最善性。
ああ、美しい。
なんて合理的で、綺麗にねじれの位置が並び合い、不完全な世界が完璧に作られているのだろう。